人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

染耐

ふとお風呂場の鏡を見て思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(髪を染めたいかもしれない運転…)

 

 

 

突然舞い降りてきたんです、このメッセージが。普段から自分でも何を考えているか分からん人体なので、どのタイミングでどの内容かは風の向くまま気の向くまま。その時そう思った、日常茶飯事それだけ。

 

こう、それは”いつかなくなるもの”じゃないですか。人間として生まれた以上、その部位だけに留まらず脳や肉体すべてに通じる話ではあり、年月と共に現実を受け入れる覚悟(という名の諦め)が確立し、いざその覚悟を持って迎える。誰しも先に待ち受けている通過儀礼のひとつのようなものです。遺伝やら何やら影響はあるかもしれませんが、絶対かどうかはその時になるまで知る由もない、ということでここはひとつ。

 

 

んで。そういった捉え方をするならば、”存在している内にしかできないこと”なわけです。とはいえ特段”染めてぇええ!”やら深層心理としても”変えてぇええ!”などの考えもありませんし、単なる…好奇心?でしょうか。この色でカラーリングイメチェンFOO!やらにもさほど興味はないので絶妙に意味不明な感情。でも興味がない…というのは嘘にはなるかも?ただ単に染めたい気持ちというより、喪失が約束されている概念そのものに対しての気持ちなのかもしれません。こ、これって俗にいうエンディングノートの類?あれ?我ながらマイライフを締めようとしている段階に辿り着いてしまった?アハハ。

 

なんすかね?最近また思考の属性が変わってきた感覚もありまして。今まではもっと”直接的な気持ちをぶつけて傷がつく(物理的なのはまた別として)”タイプだったのが、ここ最近は”冷静に遠くから自分を眺めて湧いてくる感覚”といいますか。そう自覚したときに思ったのが、言葉が強くなったり行動が荒ぶるときこそ”自分なりの抵抗という証明”になっていたのかなと。

 

意地があるから、反抗心があるから、負けん気があるからこそ強く重く抵抗する。大蛇相手に喰われないように立ち向かうからこそ威嚇もするし攻撃という抵抗もする。しかしよく吠える犬が吠えなくなったその瞬間、己の力を知ったうえで諦める選択を取ってしまえば、途端に無抵抗となりあとは流れに身を任せて丸呑みにされるだけ。良くも悪くも、いかなる状況であっても、よく吠えている内は活力がこもっているのだ。つまりは時の流れとともに訪れたそちら側への移行期間、ととれるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ところで”一度っきり計画で”染めた場合、地毛が伸びてきたときどうするんですかね?半分くらい地毛が出てきたら染めた部分をバッサリ切るんすかね?それとも逐一切っていって最終的には毛先染め形態→自然消滅パターンなんですかね?自分色は生まれてこのかた永遠のB(ブともかかってる)なので、色の違う髪の毛が地上を押し上げていくツートン感覚が分からんのです。

 

まあたぶんやら(れ)ないけど。そういったひとつひとつのことの重みが増していくのか、無関心まっしぐらとなってしまうのか、その行く末は誰も知らず。明日はどっちだ。