人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

むきむき

先ほどふととある記憶がよみがえってしまった。それは今から何年前のことだろうか、自分にとってある衝撃的な出会いをした。その瞬間心は鷲掴みされ、当分奥底から離れていくことはなかった。

 

それはいったい何かというと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”りんご”。

 

 

 

数年前に買って食べたりんごのそのおいしさ、甘味はもちろんのこと、りんご特有の酸味との相性も抜群で、我が生涯にて一番衝撃を受けたりんごのこと。本日の夜ごはん後のデザーツにて(スーパーの)りんごを食したタイミングで呼び醒まされたこの記憶。

 

マイフェイバリットりんごを購入した場所というのが、某イベント事にていわゆるメインではない、どちらかといえば端のほうにこぢんまり設置されていた直売所ブースに売っていたもの。つまりはもうどこのどんな名前の品種なのかも分からない状態である。りんごに限らず果物類の品種名は平仮名で数文字パターンが多く、このりんごもそれと同様だった…確か平仮名四文字?というのと、”りんごってこんなに美味しかったんだ”という記憶だけが残る。

 

時折スーパーでりんごを買って食すのだが、やはり甘さ酸味に味気ない、味を感じられないものが多い。これは別にそれに対して揶揄しているわけではなく、全国に店を構えているような卸売り店である以上品質管理の面からみても、俗にいう”旬”や”食べごろ”、そこに加わる”食品ロス関連”までも考えると、一通りの要素を完璧に行えるのはよほどのルート事情でもなければほぼ無理だと思う。取り扱っている店舗にいけばいつでも作物を入手することができる、とみれば全体として素晴らしい品質レベルだとも思う。

 

これも個人的な感想にすぎないが、一度同食品から衝撃を受けてしまったのなら少なからずそれと比較してしまう、という面に関しては申し訳ない気持ち。それほどまでに頭とハートがビビビッとなったのだ。

 

 

 

んじゃなんで数年間記憶が眠っていたのか、と自問自答してみると、何の品種か分からない→もう二度と味わえないかもしれない→じゃあ未練を断ち切ろう、という流れだったのかもしれない。長時間思いにふけてもやもやし続けるよりは、さっさと残留思念を外においやってしまおう、それが今宵のリバイバルモリーに繋がってしまった。

 

 

 

あらためて思ったのが、食品や日用品嗜好品その他もろもろに限らず、”一度ビビッときたものはきちんとメモしておけ”ということ。これが例えば電化製品などの(すぐには捨てないであろう)箱、ネット通販などの購入履歴が残るものはまだしも、普段行われていない直売所のような一期一会の場では、”再度”という線は限りなく細い。目覚めた未練とまた当分向き合うことになったが、これも当時”あっ!そういえば今日燃えないごみの日だった!たまってきたから捨てなきゃ!”と勢いで一緒に捨ててしまった、昔の自分の責任なのだ。