つまりわたしはこういいたい。夏のクーラーと冬のこたつはすごいぞ、ということを。もう、一度体感してみるとそこが始まりの始まり。終わりが始まるのでなく、始まるのだ。何故なら快適なほうがいいにきまってるから。その魔力にとりつかれてしまえばもうそれがないといられないわがままボディとなってしまう。あ、カラダといえば、昔アミノ式?っていう飲み物のCMがあったじゃないですか。ねんしょーけいねんしょーけいあーみのしっきっデデデって歌ってるCM。それの登り棒?かなんかで横向きに垂直の体勢で登る?謎さがすきだったんですけど、いつの間にかなくなってましたねえ。登り棒はこの前久しぶりに挑戦してみたら思っていたより肉体の老化がウキウキで結構苦戦してました。ところでおやつにバナナは入るのか問題ですが、夏の遠足だと気温によりちょい危ないので、大人しくバナナ味のLOOKを買いましょう。遠足のおやつって性格が出ますよね。決められた予算内でどの組み合わせで買うか。子供の頃だからこそ、まだ黒く染まった方向の打算的行動ではない頃だからこそ、根っこの部分が明かされるというか。一つ一つ安い値段のもので揃えるか、贅沢に大袋を捉えるか、その間か。それプラス醍醐味のひとつである他のみんなとのおかし交換会に向けてのタネとするか、どれを選ぶかはそれぞれ異なっていて面白いところだと思います。自分はどうだったっけなあ…うーん、予算半分程度大きめなものを買って残り半分は細かいものを買っていたような…なんかこういうの幼い頃の心理学みたいなのでありそう。誰か論文書いてくれ。そこで一つ思ったんですけど、自分って幼いころからこだわりがつよかったのか、例えばパワプロのサクセスとかでオールAをめざすとか特殊能力モリモリにとにかく目指す、ポケモンとかで伝説のポケモンをとにかく並べる(はかいこうせん入りフルアタ)など、その時代は力こそがパワーの世界だったじゃないですか。ですが自分はもう物心ついたときには一芸に秀でた選手をつくってたり、意地でも使いたいポケモンだけをつかっていたり、バランスブレイカーは無しにしたり、そんな謎な感じでした。走力まわりマックスにしてパワーはFまでとか、Aは一つまでBは二つまでとか、サブポジ追加したら能力制限するとか、なんか昔からこだわりプレイでした。いまでも脈々と流れている我が本能、思えば自分も遠くまできたもんだ。