そう、今日がまた始まり今日がまた終わる。
一日たりとて同じ日はない、だからこその違いが焦燥感を駆り立てられる。同じ日がないからこそ、集団という枠組みからズレていく感覚に気付く。今だけのだけは、すなわち未来へ向けての積み立て貯金である。疎かにし続ければ先は暗い。
余裕がないとはそういう気持ち。
何をしていても心身ともに休める場面であっても、行く先々で危惧される事柄、それが付きまとう限り迷路の出口には辿り着けない。根本的な解決手段を切り開かなくては埒があかない、今現在その手段すら模索できない、負の螺旋階段が永遠に続く。
もはや心の揺さぶり程度の話ではないのかもしれない。
純粋な結果論、滑稽な自己満足、哀愁の日常。自身の人生において未だ手中に納めたこともないそれらを、いつまでも迎えられずにその場を回り続ける。関心を呼ぶそれは単なる自身の尻尾かのように、脈略も答えもない戯れにて追い求め、その場で回り続ける。飛び込むチャンスすら視界に入れないようにしながら、同じ場所で回り続ける。
痛みは苦しみへと繋がり、苦痛の先は喪失。失うことへの儚さや美しさは、真っ当な概念にのみ許された視点。融通の効かないこの頭を無理矢理動かして得られる結果の、なんともちっぽけなこと。階段を踏み外したり飛び越えたり、そんな終着点もあったりなかったり。そのような度胸も身に付かないまま、まだまだ回り続ける。