人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

位限

こう、日々思うわけです。仕事だろうが趣味だろうが何らかの物事に一生懸命な人達は格好いいなと。眩しいなと。人は自分にないものを持っている人に惹かれるものですが、自分にとって一番強く思うのは結論としてそれかもしれません。

 

好きなことを見つけて、それに向かって走って、生きる術に繋がって、その人の世が形成される。損得第一でもいい、損得二の次でもいい、自己満足でもいい、自分一人の世界でいい。才能の有無でもない、周囲から見えるその努力という概念も、当人にとってはそう感じていないかもしれない。呼吸をするように、眠たくなったら眠りにつくように、その人にとっては無意識に、形成された自然界が目の前に広がっている。

 

それが、なんとも美しい。

 

自分が持っていないからそう思うのか、手が届かないからこそそう思うのか、それに当てはまる事例を挙げようとしてもキリがないだろう。

 

話の前提として一つ引っ掛かる部分を挙げるとすれば、肝心な自分自身よりも、自分に一生懸命な人のほうに目を向けてしまっている、という点である。幸いなのかどうなのかは別として、世の中には自身のカタログスペック以上の人しかいないため、自分を見たくないから、見られたものではないから、眩しく輝いている人達へと目を向けてしまう。自分に対しての最低限すらできていない立場の戯言。

 

立場の違いこそあれど、いつかは何らかの切磋琢磨ができる位置に辿り着けたら。光合成ができる存在となれたら。良い夢が見られて、それでいて夢ではない自然へと溶け込めたら。堕ちていくならば、暖かな木漏れ日と共に堕ちていきたい。