愚痴失礼。
なにやらドーピング?だのスキーウェア違反?だの、個人的には素直にスポーツとして受け入れがたい事態。当事者でもないし現場を知っている訳でもないので、聞きかじった知識で事の経緯を断言したりはできませんが、ちょいしょんぼり。”絶対生で見るぞ!”と意気込んで見たのが羽生選手の演技くらいで、他は気が向いたら見るくらい。あ、男子団体ジャンプは見てた。
その、前者の問題は選手の”とある事情も考慮して”、という記事も目にしましたが、なんというか、自分はそういう”免罪符バリア”系のものが苦手で。具体的な例を挙げてしまうと、過激派集団に総叩きされそうなので自重するとして、こう…自分のやったことの責任を内的&外的要因を用いて笠に着て振りかざす、というか。頭パーの自分では説明が上手くできん。周囲の読解力に託す。
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自分は等級的には軽度?の障害診断を受けたが、その立場を乱用したことはない。今後する気もない。他人に押し付ける気もない、周りの立場からすると無意識に気を使わせることもあるかもしれないが、それに対しても申し訳ない、という気持ち。診断を受けてからの人生の方が短いため、正直生まれながらだと思っていて障害の自覚症状もないし、笠に着るつもりもない。周囲に比べると人間として劣っているところしかない、とは自覚しているので、他人様と関わる際は身を弁えて行動している…つもりではある。
どちらかというと”障害を持っている自分”ではなく”自分は障害そのもの”、という認識で、たとえ人から指をさされ”あっ!障害者いる!”と言われたとしても、それが自分だ、と気持ち良く返事を返すだろう。無論↑自分の場合。ふと自己分析をして(滅多にしないけど)、”そういえば昔こんなことがあったな”と昔の事柄を思い出した際に”これはこういった傾向があったからなのかな?”と自覚することはあるが、その、過去ではなく今現在生きていて、他人様に何らかの問題や失礼なことをしてしまったときには、”障害”という名目を思い浮かぶことは一切ない。”自分”が悪い。
自分が100悪いのであれば100の責任を全うすべきだと思うし、その分償う、それが当たり前だと思う。責任を周囲に置き換えたり、論点のズレた話を持ち出したりすることは精神的にとても楽ではある。だがあからさまに自分のことなのに、何らかの免罪符を用いて自身を擁護したり、周囲に一方的に押し付けるということは、好んでするべきではないと思う。
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これは単なる自論であり、物申したい、という訳でもありませんが、近年の流石にそれは…的な各種バリアだったり、それこそ発達障害を免罪符として利用する人もいる、などの話もチラッと目にし、ちょいもやっとしたので、今回述べさせていただきました。