人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

壁になりたい

なんか、最近好きだったソシャゲのサ終を目の当たりにしてきて、悲しくなるのは当然として、自分自身に対しての危機感も湧いてくる。いつまでも夢見る少女じゃいられない。

 

自分の精神年齢はもう十数年間変わっていないが、時は刻まれ続けている。日々肉体の若さは失われていく。衰えが進んできている。定期的に訪れる、怖くなってきたモード。このまま寄生虫パラサイトとして生き続けてしまうのか。何も成長しないまま朽ちていくだけなのか。

 

働く…としても就職は勿論、そこら辺で募集しているアルバイトなどもおそらく無理だろう、当たり前ができないのだから。長く続くか否かはとにかく、気軽に始められる人、仕事コロコロできる人が羨ましい。フリーターは超人だ。スーパーマンだ。

 

自分は”職場の人間関係”というものが分からない、昔働いていたところはそれほど関わりが無いような形態だった。他者との関わりを最低限に抑え、与えられた業務のみ集中すると割り切ればどうにかなるものだろうか?不細工で面白味が全くない人間として、気配を消し続けるのが一番良いだろうか?変に悪目立ちするくらいだったら、いないものとして考えてもらったほうがいい。

 

手帳パワーを使えば働かせてくれる、という場所があると聞いたことがある。一般企業の障害者枠とかではなく、軽作業で時給もちょっと貰える施設、みたいな感じ。もし始めるとしたらそういうところになると思う。始められないけど。

 

結局今日も明日も一か月後も一年後も勇気は出ないままナーバスモード。何か自分の身一つで生活できる人が羨ましい。目標、夢、生きがいがある人が羨ましい。一歩踏み出せる勇気が羨ましい。始められないのなら始められないなりに、終わらせることができる人が羨ましい。