自分の思う、料理している人の”カッコイイところ”ランキング。
3位・イケメン。
2位・すごいイケメン。
1位・とんでもないイケメン。
真面目に。
3位・腕捲りした際の前腕。
2位・仕上げに余熱テクを用いる。
1位・複数の料理を同時進行する。
こう、料理番組とかで”こっちの料理を煮ている間にあっちの料理の下ごしらえをしておくか”、的な感じ。なんか手が空いた時間が発生したから別の作業します、みたいな。頭がシングルタスク2MBメモリの自分の憧れ。恰好良い。
自分が料理をする際は、一つ一つの鍋やフライパンに一点集中、隙間時間とかに別のことをする、ということができない。”○○分間水気が無くなるまで焼く”、というような説明でも出来上がるまでジッと見守ってしまうというか、目を離せないというか他のことに頭が回らないというか、餃子を焦がしてしまうというか。と考えてみるとあまりにもノットクール。
ということで。
二つの品を同時に作ってみよう!と思い立ち、”味噌汁”と”麻婆春雨”を同時進行することにした。まあ麻婆春雨は店に売っている炒めるだけのやつだが、野菜を付け足すという形で。
お湯を沸かし、その間に野菜をよいしょ、よいしょ、とカットしたところで自分は思った。”同時進行するならば同時に完成させてこその勝利”ではないか?ということ。出来上がりタイムラグが起こってしまえば、なんとも盛り上がりに欠ける。
お湯が沸騰する前のタイミングで、フライパンで春雨の具炒めを始めるのがベストタイミングと予測し、具材を数分炒め、春雨投入と同時に横目で沸騰した湯に味噌を溶かす、これぞウィニングロード、見事誤差の範囲内で完成した。やったね。
今回の件で分かったことは、精神的な余裕を持つこと。取り返しのつかないレベルまでいかない程度に、放任的な心持ちで動くこと。味噌汁は温め直せばええんや、いくら時間が掛かろうが、どうせ食べたら一緒や。あれ?結局どういうこと?ちょっとやってみたかっただけや。美味しかったです。
…
先日とある用語を目にしまして、それは”袖クル”というもの。
どういうもんか説明すると、背後から袖を捲る、ということらしい。つまり後ろからハグされる、という構図となるわけだ。袖クルの真価が発揮されるのはやはり料理中だろうか。包丁気を付けてね。
ここでちょいと考えてみる。
やはり露骨なのはいただけない。袖クルをしてほしいからといって、”やって”と言うのは論外だし、否応なしにやらせるように、自ら行動するのも芸術点が低い。美しくない。あざとく相手に仕向けるような行動は駄目だ。ポイントは”袖が邪魔になってしまったとき”に、”自分の手では袖を捲れない状況”に持っていくということ。つまり、いかにその観点へ自然に誘導できるか。
料理スタート時に腕捲りをしない、というのは有り得ないとして、自論はこうだ。
まず初めに、締め付けを少し緩めて腕捲りをし、両手が気軽に使えない料理の過程、つまり揚げ物料理時の粉卵で手がべちょべちょ等、小手先の水洗いでは洗い流せないタイミング、その時に腕を微かに振るなどして元から緩めていた袖をおろすのだ。このときに、”あぁ~ん袖おりちゃったぁ~今両手塞がっているのにぃ~”とリアクションをし、”ったくしょうがねぇな~”と袖クル。これが栄光の架橋だ。
と考えてはみたが。
こういうのは不意に行われることに意義があるのであって、こう、自然を装って計算している時点で価値が損なわれているのではないだろうか?そもそも袖クルどうこうという点で、お互いどういう関係性だ?どういうことだ?妄想では補えない経験の無さが致命傷だ。何も分からない。なんかもういいや。
まあとりあえず、両手が塞がっている状態で袖を少しずつおろす練習でもしておくか…