先月のかーちゃんの日にかーちゃんに贈った花がすっかり枯れていて、それを見たとき、なんかちょっと悲しくなりました。
花は枯れるこそ美しい、そのような言葉がありますが、その通りだと思うし、一生枯れない花などではこのような気持ちは生まれないでしょう。
…
んで、創作物で不老不死ってあるじゃないですか。まあふと思ったことなんですけど、死という終着点が訪れない、もし自分が不老不死という存在になったとしたら。
多分やること成すこと感じること全てが空しく感じて、でも命を断つことができず、精神が崩壊して、ひたすら一人でこもって寝て過ごすと思う。あれ?今とそう変わらないぞ?何事も終わりがあるからこそ、その瞬間瞬間を大事に思えるというか、物事に真剣になれるというか、かけがえのない人生が成形されていくというかbyニート。
”我は不老不死になって森羅万象を支配するのだガハハ!”みたいな悪役台詞とか、実際そうなったら何事にも関心が無くなってしまう気がする。何かを成し遂げること自体の終わりも見つからない、生きがいを見つけたとしても、周りの生物の死を眺めるだけの生涯、自分一人だけでは何をするにも、認知されるという概念が存在しなければなんの意味も無い。結局引きこもってふて寝するだけ。
…
枯れた部分の花をチョキチョキ切っていて、ふと考えたこと。ちょい傷心はするけど、それが生きとし生ける者の必ず通る道、絶対に必要な道。俺ももう長く生きすぎた。