人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

まあ落ち着いて

先日、ニュース番組を見ていたら、五輪の会長さん?がやっちまった発言をしてしまったらしく、各方面大荒れ。トィッター界隈も凄かった、みんな目の前に高級和牛が出されたかのようにウキウキしてましたね。ああいう公の発言責任がある場でああいうことを言ってしまったということは、普段からそういうお考えをお持ちの方なのでしょう。発言力がある立場である以上、流石にフォローはできない。

 

まあそんなことはどうでもいい…とまで言い切ると怒られそうですが、”会うことも関わることもないおじいさんがまた何か言ってる…”くらいの気持ちでいきましょう。そんないちいち目くじら立てて生きてても疲れるだけよ。それが生きがいの方達は…ストレス発散になっているのでしょう、まあそれも生きがいか。

 

 

ということで平和な話でもしますか。自分の性癖…もといフェティシズムについて一つお話しします。流石にガチのやつを書いてしまうと運営さんに漆黒の法典を使われるので、軽めのやつ。平和だなぁ。

 

そもそも性癖というのは、人類それぞれの持っている本能、それがいつどのタイミングで才能開花されるか、それも人それぞれ。思春期、まあ大雑把に中学~時代、多感な時期にふと触れたファーストインプレッションに依ることも大きな割合を占める。シリーズ物の作品でどれが一番好き?と聞かれたら、やっぱり一番最初に触れた作品、と答えるようなものか。

 

おそらく、性癖の種類は人生の歩みによって増えるor各種割合が変わることはあれど、(よほどのトラウマ事件が起きない限り)無くなるということはないと思う。もし新たに開花したことならば、それは元々自分の中に癖の種があり、それが育ち花を咲かせた。そして興味ない癖はその瞬間瞬間は”おっ”となったとしても、結局それまでの気持ち止まりでいつまでも咲くことはない。つまり元々その癖の種は無かったということとなる。故に自分の今までの人生から、新たな癖の種を見つけ、気付いたときは人として一廻り、深みを増したということだろう。

 

 

自分が成人して数年経ったころ、まあそれくらいの年月を生きているわけだから、自分が持っている癖というものをある程度認識していたし、既に固まっていた。

 

その当時、障害を持っている方々向けのような、精神科医さんのカウンセリングに定期的に通っていたのだが、スタッフさんに異性の方がいまして。まあそりゃいるよ。通っている最中に、冬→春→夏と季節は移ろいでいき、(自分にとっての)大事件が起きました。

 

そのスタッフさんが普段肩口くらいの長さの髪を縛っていた。

 

!!!???

 

自分でも何が起こったのか分からない、電流が走った。

 

当然施設のスタッフさんですし、そういう邪な気持ちは全く無かった。明るく可愛らしい感じの方だったが、年頃の子供がいるくらいの年齢の方である。しかしその光景を目にした瞬間、心がザワついていたのだ。心臓を鷲掴みされたのだ。そしてそのまま何が分からないまま過ごしていると、また別のスタッフさんとすれ違った。

 

普段ロング?くらいの長さだった髪をショートに切っていた。

 

!!!!!!

 

また撃たれた。挨拶され、こちらから返すのに一秒ほどのラグが生じてしまった。あちぃから切っちゃったらしい。何なんだこれは!!!当然その気持ちは本人の前で言うことではないし、得体のしれないものにすっかり精神が削られていた。マイホームに帰ったあと、自分は考えた。なんだあの本能を揺さぶれるような感覚は…何が要因で起こった事象なのか、考えた。その結果、ある結論が導き出された。

 

”普段見ている(知っている)髪型と違うフェチ”。

 

つまり雰囲気のギャップというものに弱いのだろう。普段短い方が長くなったり(いつも縛っているけど下ろしたなども含める)、逆に長い方が短く切ったり縛ったり、そういうものに弱点四倍タイプなのだろう。

 

ということで。

 

自分の歴史の一ページに新たな一項目が付け加えられました。オレは上に行くよ。