人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

後限

さくらはさくらでも花ではないさくらはな~んだ!?はいタイムオーバー!答えは全国の桜井さん!こらあああ!人名を答えにするのは罰せられ対象侍でござるぞ!はいどうも!自分で自分の株を自社買いし連日連夜のストップ安!歩く逆セルフプロデュース売りのタイミングすらない哀れな物件!獅子損損インサイダーヒューマニストことぼくです!あなたにとっての日々のささやかな楽しみはなんでしょう?楽しみに限らず癒しでも安らぎでもバールのようなものでもいいです。わたしは時に滅びを命じます。いいえ、それはあなたのペンではありません。裏路地に迷い混んでいるのか、実は自らそのアンダーグラウンドを期待しているのか、事が起き取り返しがつかなくなってから気がつくのです。壺は売りません。なぜなら窓にはサッシがありまして、結露が外との寒暖差をお知らせします。人が山に登るのは何故か。そう、高所には一種の清々しさがあるからです。罪深き者こそ罪の深さは知りえぬ水と油の関係。雲の隙間からこぼれる光、海に突き刺さるその鋭利さは海空を穿つ自然の審判者。だからといってフーセンガムの膨らまし方が分からないいいわけとはならない。道なき道をいくために、道なき道を渡るための道そのものが必要なことを忘れてはならない。徒歩なら徒歩のための道、二輪車四輪車三輪車なら車輪が回る道、車体の通れる幅、概念ならばそれがまかり通る論理。その道なき道、もとい道なき道を渡ることのできる道を作り出した先人の方々に賛美を送りたいと思う。困ったときにはまず何に困っているのかどう手をつければよいのか、理解が間に合わない段階が所謂困ったとき、と称するのがよろしいかと。バナナの皮を捨てよう、とした際にふと転んだほうがいいのかな、と頭にノイズがよぎる。自分ならではのホップステップ三段跳び、昔やったことがあったけどテンポと足運びが全然合わずに断念した悲しみ。屈強な岩壁に挑むは親しみの炎。燃やしつくすためには火力が必要、だが火力が相手に届かなかった場合、そこに残るのは先ほどまでそこにあった物体の煤。煤を恐れ加減しつつ満足感というハードルを上げずに過ごすのか、煤になってこその美学とするかは人それぞれの生きざまに表れる。晴らすのは雨、降らすのは晴れ。晴れているからこそ雨が降るし雨が降っているからこそ晴天が訪れる。森羅万象比較があってこその世界である。いつかは自然に還るときがくる。三分後なのか明日なのか平均寿命なのかプランクトンとして礎の一端と飲まれていくのか。そう、今日もまた日が落ちるのだ。おやちゅちゅみ。