人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

隅限

いやあああ台に膝ぶつけたあああいたあああいもう頭ふらふらこっちにあっちにふらふらで心身ともにボロボロよぉどうもこんばんは焼肉の網を交換しようと思っても店員さんに声がかけづらくて結局焦げ焦げミートエキセントリック中年アダルティーことぼくです。自分がどう思うかではない、他人がどう思うかだ。自分にとっての当たり前、基準が自分にとっての普通だとすれば、世間における普通とは異なるもの。それを測るのは世間。ならば自分にとっての普通はどこにありどこへ向かうのか。世の仮面を被れば被るほど世の普通へと傾き移り変わっていくもの。水溜まりに映る自分は本物なのか。その仮面を外せる地盤が生まれ打ち明ける機会が光を帯びたとき、本当の意味での普通が幕を開けるのだ。それまでの道のりは静かながらも険しい。一歩ずつゆっくり確かに着実に。そこから見える景色は優雅なほどでもない、高地な場所でもない、いわば平坦な地。しかし楽には辿り着けない先にある平地知らず知らずのうちに追い求めている地。そこはなんとも愛おしく、それでいて触れたらすぐに荒れてしまいそうな繊細さ、現実世界に起こり得るネバーランド。葛藤や自棄を乗り越え、迎えた先には何が見えるのか。答えはまだ見つからない。湿布ってあるじゃないですか。いてぁいところに貼るあれのことです。久しぶりに貼ってみたんですけど、匂いは相変わらず湿布のにほいですね。強烈というか、この人湿布貼っとる!と一瞬で分かるほどの影響スメル力といいますか。んで、ひとつ思ったんすよ。湿布の匂いはある意味での"頑張ってる匂い"なのではないかと。運動だったり筋肉痛だったり、加齢による蓄積疲労が多くを占めると思いますが、その身体が軋む程の働きをしてきた証ではないかと。キラキラ健康体で怪我も病気もナッシングな方は使う必要もないじゃないですか。無論その方々ががんばっていないということではなくて、湿布を必要とする方々も含め健康第一無病息災、各々生活によって築き上げられた差はあるし、一線を越えてしまうか否かの運もある。その貼られた湿布も生きている証拠なのだ。自分の場合は不可抗力なものもあるので???な判定が下されますが、それはそれとして。湿布の匂いは個人的に嫌ではないですねぇ。ですが不特定多数の苦手な方々にはすみません…すみません…の気持ちを忘れずに、自分一人だけの世界じゃないことを忘れずに、今日も寝ます。おやちゅちゅみ。