人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

とゅえるしん

やあおばんです。

”とぅ”とか”とぇ”とか打ち込む際、ローマ字入力の仕方が分からずいちいち”TO”→”XU”と入力しては”本当にこれでいいのか…?なにかしらの抜け道がどこかにあるのではないか…?”とマップ上の見えない壁に突撃気分…を匂わすだけ匂わして手を付けることはない自分です。

今日はお酒を飲むんですよ。でもどうにもみかんと味が合わないね。

ううん、困ったね。こう、自分自身との確執といいますか、ちょいとお出掛けしてふぅぅぅぅしてぇ気分もあるのですが、本質が引きこもりなゆえこれといって動けず散財するような金もなく。晴らせないうっぷんがたっぷん。ちょいと気分がブルーになってきました。

はいはい、そんなアピールは早々に卒業してもらってね。ごめんなさいね。もうお酒がなくなっちゃった。それもそう、飲むときは350缶一本までと決めているから。えらいぞ。

あっ、そうそう、改行していてあれを思い出したね。ヤングの頃隙あらば課題に出されていた作文。当然のことながらそれ以来書くことはないんですけど、こう、文字数やら枚数やら指定されていたじゃないですか。そこで一文を頭すぐで止めて、残りの空白ぶんを改行して枚数稼ぎをする、みたいな技法を見かけたんですね。それを見て自分は子供心ながら”それはちょっとなあ”と思いまして。どれだけ煮詰まろうが意地でも埋め尽くしてやろう、と奮起していた覚えがあります。言葉なんて長けりゃいいというものでもないので、その背伸び効果が良い方向へと傾いた、かは当時の先生にしか分かりません。まあ見るからにその方面の才は皆無、それは言うまでもありませんぜ。

こう、どこぞかで聞いただけの話ではあるのですが、大学生の方々とか、”論文”っちゅーものを沢山書かされるらしいじゃないですか。卒業論文?というのも含めて皆様すっげえなあ~と思うわけです。卒~のほうは各々好きな議題で書けるんかな?そちらは置いといて、正直興味が全くない事柄に対して~とかだったらそのぶんお忙しいことだろうと。

自分なら…う~む、この頭の中に論ずるべき論がないため、それこそ“ぼくは○○がすきです”、”りゆうは○○が○○だからです”、”○○がすごいとおもいました”、”○○がかっこいいとおもいました”、と本能に訴えかけた結果の感想くらいしか書けません。そもそも論ってなんだろう、つまりは理屈ということでしょうか?うぇ?理論と理屈は違うか?世間から評価されたら理論、されなかったら理屈ということ?うぁ?それすらも分からず道理から目を背け続ける人生。そこから出来上がった哀れな姿が今ここにこの場所で上映中。