人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

討限

そう、今日がまた始まり今日がまた終わる。

 

一日たりとて同じ日はない、だからこその違いが焦燥感を駆り立てられる。同じ日がないからこそ、集団という枠組みからズレていく感覚に気付く。今だけのだけは、すなわち未来へ向けての積み立て貯金である。疎かにし続ければ先は暗い。

 

余裕がないとはそういう気持ち。

 

何をしていても心身ともに休める場面であっても、行く先々で危惧される事柄、それが付きまとう限り迷路の出口には辿り着けない。根本的な解決手段を切り開かなくては埒があかない、今現在その手段すら模索できない、負の螺旋階段が永遠に続く。

 

もはや心の揺さぶり程度の話ではないのかもしれない。

 

純粋な結果論、滑稽な自己満足、哀愁の日常。自身の人生において未だ手中に納めたこともないそれらを、いつまでも迎えられずにその場を回り続ける。関心を呼ぶそれは単なる自身の尻尾かのように、脈略も答えもない戯れにて追い求め、その場で回り続ける。飛び込むチャンスすら視界に入れないようにしながら、同じ場所で回り続ける。

 

痛みは苦しみへと繋がり、苦痛の先は喪失。失うことへの儚さや美しさは、真っ当な概念にのみ許された視点。融通の効かないこの頭を無理矢理動かして得られる結果の、なんともちっぽけなこと。階段を踏み外したり飛び越えたり、そんな終着点もあったりなかったり。そのような度胸も身に付かないまま、まだまだ回り続ける。

位限

こう、日々思うわけです。仕事だろうが趣味だろうが何らかの物事に一生懸命な人達は格好いいなと。眩しいなと。人は自分にないものを持っている人に惹かれるものですが、自分にとって一番強く思うのは結論としてそれかもしれません。

 

好きなことを見つけて、それに向かって走って、生きる術に繋がって、その人の世が形成される。損得第一でもいい、損得二の次でもいい、自己満足でもいい、自分一人の世界でいい。才能の有無でもない、周囲から見えるその努力という概念も、当人にとってはそう感じていないかもしれない。呼吸をするように、眠たくなったら眠りにつくように、その人にとっては無意識に、形成された自然界が目の前に広がっている。

 

それが、なんとも美しい。

 

自分が持っていないからそう思うのか、手が届かないからこそそう思うのか、それに当てはまる事例を挙げようとしてもキリがないだろう。

 

話の前提として一つ引っ掛かる部分を挙げるとすれば、肝心な自分自身よりも、自分に一生懸命な人のほうに目を向けてしまっている、という点である。幸いなのかどうなのかは別として、世の中には自身のカタログスペック以上の人しかいないため、自分を見たくないから、見られたものではないから、眩しく輝いている人達へと目を向けてしまう。自分に対しての最低限すらできていない立場の戯言。

 

立場の違いこそあれど、いつかは何らかの切磋琢磨ができる位置に辿り着けたら。光合成ができる存在となれたら。良い夢が見られて、それでいて夢ではない自然へと溶け込めたら。堕ちていくならば、暖かな木漏れ日と共に堕ちていきたい。

再限

りめんばーりめんばりめんばー氷帝ねーばぎーぶあっ氷帝目指せなーんばーんわーんーなんばーわーんなんばーわーんーみなさんこんばんは。天空の導かれず者ことぼくです。

 

トゥビーコンティニュー。今の景色、それこそ我が道。波に飲まれ風に吹かれウィッグが飛ぶ、比喩としての心の陰りであり昂り。

 

こういったときに昂ることのできる人こそがネクストヒーローガソリンの値段を見ておろおろ二戦連続完封負けの悲しみ気分はロー。

 

あっ給油のときの静電気?防止タッチは個人的にすきです。というかアレ、タッチ部分の壁面に対しての90度なもんだから、押し付ける際に手首も直角にしないといけなくてもやもやするのでさっさと改修してくれませんか。

 

|   ←これを

/   ←こうしてくれい。

 

駅の改札のなんたらカードをタッチする部分とかもややこちらに傾いているじゃないですか。そういうことです。都会ど田舎は違うんがなぁ?

 

アレに対して、自分は一応手のひら完全体タッチしているのですが、正式なやり方はどうなんだろう?実は指先だけでよかったり?…まあいいか。タッチしてとあるのだから自分は正々堂々手のひら全開タッチをし続けます。大は小を兼ねるのです。

 

そんなこんなで華麗に睡眠へと繋げます。スタイリッシュランクSを目指します。そのレッドオーブ報酬でイエローオーブを集めます。おやちゅちゅみ。