人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

たっくし

打席に立たねばヒットは出ない。バットを振らねばボールは飛ばない。思い切り踏み込まなければ打球は飛ばない。ノーステップで飛ばせる者はジェンガの結晶。求めている物が唐突な脱皮をすることに否定はしないのだが、老舗の味はそのまま持っていてほしい派であります。好きなラーメンが更においしくびっくりリニューアル!なんてのはやめてくれよ、と。リニューアル!するなら新メニューとして冒険してくれよ、と。食券式ならもう逃げ道はないのだから。いや別に食券じゃなくても後からやれることは無いのだけれども、こう、ツッコミを入れてはいけない雰囲気。察するべきはどことなく消え去る口数。揺るぎのない証拠。まるで解凍されずの冷凍チャーシュー、湯気の立たない出来合い品の在り方。麺を仕留めた後の余韻はどこへやら、ごちそうさまの語気はどこか弱々しく涙も汗も出ず。今のご時世だからこそ、様々な情報がカットインフェードアウトしていく現代だからこそ、”それはそれこれはこれ”の精神は大事なのだと、ラーメン屋さんで一番わくわくするのは”このお店のれんげはどんな形なんだろうドゥヒヒ”な自分は思うのです。思うというか、何かステップがひとつ進むたびに思い直す、といいますか。殴り合いだってそうじゃないですか。路地裏でも屋上でもしかるべき場所での互いの理解アリジャスティスなら別にどうだっていいじゃないですか。これが真逆の公共の場で少数対複数人の一方的な難癖で~みたいなケースはどうなの、みたいな。このように時折距離感を思い直す、ってのはよいことだとわたくし存じます。自分は夜空に無数に輝く星々の如く、何事からも距離を三千里保たなければいけない存在でありますが、何をとち狂ったかその距離感を間違えてしまうときがあるんです。周りからすればはた迷惑なことに無意識に。自覚するのは全てが過ぎ去った後に尾を引いた形で。もう二度と繰り返してはいけない歴史、と胸に刻んだとしてもシュバッと押し寄せてくる歩く人災。戒めを戒めでコーティング。みたび肉眼で判別できないほどの距離へ。