人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

おもてうら

贅沢な名だねぇ!と言われるにふさわしいぼく。それどころか名があること自体、自ら過ちとして体現してしまった、それこそが罪。先日、とある小説を見ました。300ページくらい?長編ではない作品。自分としては、文字で表現する世界だからこそ、心温まるハートフル物よりかはギトギト煮えたぎったえげつな物のほうが惹かれる、そんな媒体でもありまして。やり過ぎまではいかなくとも、ある程度心が荒むような、映像作品でないからこその文学の魔法を味わいたいわけです。やりすぎは怖いので駄目です、てなもんで今回は夫妻が…物の作品を読みました。作品名は挙げませんが、正直凄く面白かった、とまではいかなかったです。なんというか、別の…物として題材にあるのならば、そこをぎとぎと油を注入してほしい。ですがその作品はそういった事柄以外の事情が締め方含め弱め。それならそちら専門全面ジャンルでいいし、右往左往の人間模様を描くならあちら描写はもうちょい抑えても…みたいな。なんとまあ、プロの作家さんにうーだこーだ述べるこの中年は最低すぎる。凄く、まではいかなくとも一気に読みきれるほど面白かった、といった付け足しをさせていただきます。都合がいいぞ。なんすかね、種別や執筆者に関わらず、本を開く度、よくこんなに書けるなあとか物語を紡げるなあなどと感銘を受けますね。描かれていない行間を読むとか、人物の心情を思い浮かべてみたり、伏線や叙述など同時進行として仕込んだり、映像としての視覚要素を持ち合わせていないからこそ、様々な手法を際立たせるってことなんですね。自分には理解できないフィールドなんですが、本はねぇ…見たい気分になるのって、何故だか何かに追い詰められているときのタイミングなんですよね。今なの?じゃあ今なのかもね。本にしおりがついているとちょいとテンションが上がりますねぇ。