最近ぼくね、諦めの境地に何度も足を踏み入れているような感覚がするの。諦めってね、パッと見ではマイナス?やら後ろ向きな印象も感じるけど、一種の旅立ちだとも思うんだ。開き直り、とも言い表しづらいけど、これまでの道のりを自覚して、現在に当てはめて、その結果の新品のノートに鉛筆を伸ばす、みたいな。逆に諦めないことが変、と言ってるわけじゃないよ。前進あるいは後退いずれの方向へ動く力があるのならば、いつまでも歩みを止めないことも正しいと思う。挑戦してもいないのに諦めという概念はまかり通るのか?細かな部分で積もり重なった掃除機の中身でもあるよね。空気上に漂う目に見えない物質もあるよね。問題はその後、どこへ旅立つか、なんだ。木の上に足をつけて留まることができるのならそれでいい。そうじゃなかった場合?朽ちゆくだけの身体と木、落下先への身の保証は?それがどこにもないなら?問題が解決されないまま解答用紙がすっからかんのまま中間点の類のないまま重たい頭のまま地面へと。そう、後ろ盾のない諦めは、ただの逃げへと変貌してしまうのかもしれない。なんかもうね。取り返しのつかないことばかりの生き様だけど、後悔はしてないんだよ。だってそういう道を自分で繋げて渡ってきたから。自分がやったことに後出し悪態はあれど悔いはないの。そうやって開き直りの獣にまで突き抜けることができたらよかったね。そこまでの振り幅すらもないのが心の隙間の要因だとも思うんだ。隙間がね。一定の範囲の隙間が常時供給されていくんだ。じわじわ広がっていくんじゃなくて、一定の面積のものとして出荷されてくるんだ。不思議な感覚だね。どこからやってきたんだろうね。