人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

みたらし

昔どこかで会ったことない?っていうノリのNANPAって本当にあるんかね?それと同時に本当に過去に面識があった場合はなんともいえん気持ちにもなりそう。忘れたんですか!?そりゃ忘れるぜこの三分経てば忘れるぷよぷよ頭はよ!てなもんで日々のアルコール投与が一段と二段とだんだん心惹かれていきながら助長させながら中毒とはいかないと信じているこのオトコ、ここに滑り込み登場。いやもう、昨日に続いてではないけれど、ぐるぐるシンキングなタイムァが増えてる気がするね。それこそヤングの頃はあやふやな空間での魔法陣ぐるぐるだったんですよ。途方もないことを考えて、杞憂なことも練り込んで、無謀なことや突拍子もないことや戯言などなどあくまでぼんやりとした世界観だったんです。でも今はもう変に具体的なんですよ。○○がどうだの○○の数字だの未来予想図がⅡだの、目の前が鮮明なんですよ。鮮やかというか汚いは汚いんですけど、くっきりとした汚物が見えるんです。えげつない輪郭がはっきりと頭の中に思い浮かぶんです。それが困ったことに、人によっては希望栄光友情努力勝利が見えるものなんです。同じものを見てるはずなのに、見えているものが違うんです。それがニクい部分でありまして、誰もが見てもう”ぉえっっ”となるものならば、最低限共感の道は残っているじゃないですか。自分だけが見え方が違う、となればそこに抜け道はないわけで。ただ汚いものとして見るしかないわけで。それらがもう頭の中を埋め尽くしているわけで。右も左も上も下ももう関係ないわけで。感覚の話で目を逸らし続けていたものが、物理として殴りかかってくるような形、物理的な苦痛からは背中を向けることはできない。定期的に訪れる痛みの連鎖。目か。何事も、各々の目を通して感じる景色は異なる。人によってのご褒美が人によっての罰となる。これは罰だ。自身の目を通した結果の罰。これはそんなサクセスストーリーの始まらない輪舞の物語である。