人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

よなむや

古文を学ぶ意味とは何か。考えたって仕方ないことを考える意味こそ何か。日頃使うことは覚える。日頃取り入れていることは馴染む。将来使うか使わないかではない、目先の点数を取るために学ぶのだ。そのひとつひとつの点数が将来を築き上げる。そのくらいのドライさが必要ではないか。しかし当事者の立場からするとすんなり割りきれるかどうか。君次第の道が浮かび上がってくる。厚底靴でしか通れないどろどろの道を歩むのも己の遺産。田んぼのまわりをしっとり囲むようなカエルの鳴き声が夕日を覆う。さいしょはグーとは限らない。さいしょはグーであると信じたい。さいしょはグーと言いながらチョキを出すくらいなら、さいしょはチョキと言いながらパーを出したい。そんな空模様、飛行機雲が一線、また一線と描き出す。絵の具に水を足しすぎてしまったのなら絵の具を足せばいい。結果余計に消費してしまったぶんは後日請求書を送り付ける。水も同じだ。寝て一畳起きて半畳。逆だったかもしれないのはおいといてフィジカルエリートは畳からはみでそうで大変だ。出先のホテル等にて毎度ベッドから足がはみでる存在感。羨ましくも思い…やはり羨ましいと思う。おたまじゃくしコーナーを駆け巡る爽快感は他を寄せ付けない。押しては引き引いては押す。両生類の駆け引きが地脈を塞き止めるだろう。さいしょはグー。