人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

捉える

忘年会新年会…時間だけは長く過ごしているぼく、これらのイベントに参加したことはありません。年末仕事納め?の文化でしょうか、友人関係ならまだしも上司部下ともにはさまれた酒の席とはどういったものなのか。本当に無礼講なのかも含めて知ってみたいような、アルコールによる力の解放によって意識が戻った先の未来は末恐ろしいような。そんなぼくは今日もひとりでお酒を飲みゅ。飲めばなくなる飲めなければ酔いから醒めてしまう。そんなはざまのせかいでおりなすコンチェルト。はい、本日はいかがお過ごしでしょうか、何度でも貼り直せる!何度でも洗濯して使える!という売り文句にはついついつっこみシュートなぼくです。何千何万回まで!と現実を見せてくれたらオーケーです。へたるまで洗濯して使えるぞあくまでへたるまで!と正直に言ってくれたら拍手喝采。文字からその意味を読み取るのは難しいですね。言葉のマジックによって言いくるめられる、見ようによっては隙が生まれる誤解が生まれる隅を突ける。そんなつもりはなくともそのつもりだとも受け止められる。実際の声明による発言も文字列でも上っ面のことをなぞるだけならどうにでも読み上げられるので、そのどこに感情を混ぜるのか。一番の正解はひとまず感情は布団の中に閉じ込めといて、波の立たない程度の求められている上澄み部分を示していくのがいいと思いますね。変に羅列していくと本来必要のなかったボロが出て一斉攻撃される可能性があるので。それといっそのこと、思いの内を容赦なく取り繕いもせずに叩きつける、といったものも逆に良し。顔色伺って???を浮かべさせるような行動を取るよりかは、波が荒れるかどうかも見越したうえでの明け透けスマッシュも結果として面白い。どちらにせよ公式の声明を出す出されないくらいの距離感ならば、そもそも一方通行の関係で真意はつかめないし機密としてつかませない。片側通行であるからこそ、適切な距離感を互いに持っていきたい。そのバランスが崩れてしまうとアスファルトの亀裂のような、じわじわと歯止めの利かない懐疑的な不安が生じる。その亀裂を察せられまいと巧みに隠し、なんらかの影響にて日の目を浴びた頃には時すでに遅し。結局水は飲んだほうがよいだのたくさん飲みすぎると身体に悪いだのなんなんでしょう。理屈は知らんですが一応数に分けて飲むようにしましょう。心のジョーカーを胸に秘めていくのです。