崖に向かってふらふらと歩みを進めては、足を踏み外しそうになりながらもなんだかんだ踏みとどまる、そんな気分ってあるだろう。単なる衝動なのか否か、落ちそうで落ちない、その"そう"に至るまではただの偶然なのか、故意的なものなのか、偶然を装っているだけなのか。落ちたら落ちたで激痛と引き換えに浮力によって浮かばれる感情もあり、落ちなかったで神経の奥から鳴り響く痛みと触れ合う。生物として子を崖から落とすかどうかも含め、痛みの種類こそ違えど、身に刻まれる傷は着々と深みを増してゆく。日々避けられない痛みに対して、どう付き合っていけばいいのか。それは必要な痛みなのか、サインの最中は分からない。結局のところ傷に向かって薬を塗りたくるしかないのだ。それはいったいどのような薬か。場所も内訳も、成分も処方箋も形に見えるものなのかそもそも物なのかどうか。ひとそれぞれなのが難儀なところであり、すなわち一生をかけて向き合わなければならない事柄の証明ともいえる。糖分と塩分、今の自分にとってどちらが必要なのか。方向性だけでも理解し自覚できたなら、もはや何も恐れる必要はない。向かってくる苦味だろうが辛みだろうが逆に利用して武器にしてやる、くらいの気概を生み出せたとき、また一歩深みへと染め上げることができるだろう。酸味もまた時折大切なフレーバーとして、上手く噛み砕いてゆけばよいのだ。