人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

さくらん

物はいずれ壊れるってなもんでね。物でも生き物も細胞もね。自分にとっての物はいわば財産でありまして。高い安い価値の話ではなくてね。数百円のマウスだろうがトイレットペーパーだろうがマッチの箱だろうがなんでもかんでも自分にとっては大切な物であり財産。なぜそこまで言えるかというと一度なくしてしまえば補充ができないため、てなもんでね。経済力の対極にいるもんだからね。でもいくら大切に扱おうが処置をしてようがいつかはお別れがきてしまう。SF映画のような半永久的存在は有り得ないのでね。自身の生きざまと同じで日々寿命を削り合っている。尽きればそこでおしまい。物はその代わりどうこう以前の段階で尽き、自身としては意識認識ごと尽きる。表裏一体どころか同等の存在。そのことに対して一分一秒真摯に向き合えることができれば、何か前を向ける思ひ出として美化できていたのかもしれない。悪い意味での、時は着々と迫ってきている。悲しみの中でも少しでもその悲しみを解消できる、または悲しみを生ませない働きを持てる者、それこそが逞しさという言葉の象徴だと思う。不思議だ。これといった意識もなしに浮かんでくる感情はどす黒い煙幕に包まれた海中のよう。勝手に深海に埋まっているだけで、頭を出して餌と光を求めて身体を伸ばせばいいのに、自分から更なる深淵へと身をうずめてゆく。深海の気圧の事情から生物は特異な外見的変化となるともいうが、自分のツラがこれなのもイコールそういうことなのかもしれない。すなわち予期せぬ角度から底がそこに繋がってしまった形である。どういうこと?そういうことだ。全身墨でまっくろなわたくし、お風呂入って洗濯してきます。ぐっない。