喉が痛いです。ほんのすうじゅっぷん発声をしていただけでこの有り様。はいどうも、発声とはいってもボイスレッスン的なそれじゃないよ日常会話なこれだよフルーツのど飴のレモンを絶賛たしなんでおりますのど飴の独特な後味ってなんなんだろうと思っては当たり前として捉えているうちに頭すっぽり抜け落ちていくのど飴ループなお年頃ことインフィニットよぼよぼドリーマーのぼくです。飴の噛む噛まない事情、いかがお過ごしでしょうか。わたしは噛まない噛まない、と自制心を持ちつつも結局小さくなってきたら噛んでしまう、我慢のできない駄目な子です。公共の場とかでは音も気になるので我が熱で溶かしきるのですが、普段はもう噛みたい欲が抑えきれませんいけない子だ。なんすかね、飴は飴であなたはスナック類ではないわけで。ただ物を噛みたいだけならばさきいかでもいいわけです。では何故噛むのか、噛めるようになっただけの過程、本体が小さくなって噛めるようになったから噛む選択肢が生まれてしまった。それは罪なのでしょうか。飴を口に放り込んだ側から噛み砕く剛の者はあまりいないはず。噛んでしまえるくらいにその飴を堪能したからなのか、始まりがあって終わりがある。何者かに流されず自分の手(歯)で終わらせるのもまた美学の一つなのだ。噛むだけではなくならない、ガムとはまた違った美学がここにある。結論としては各々好きにせい、正解はひとつではない。ところでのど飴が本当に喉に効くのか効果抜群なのか何故なのかよく理解していない。ところで自分はふーせんがむの膨らませ方が分からない。ところで自分は無職である。なんだっけ、ふくろみたいにくるまっている部分に空気を注入させることでふあああってなるんだっけ。今度機会があれば無限風船我夢編が始まります。みらいよち回避ふかのう打ち切りです。飴のような人間となれ。