回復、してそうでしてない我。でも感覚として少しは楽になったからおっけー。そんなわけでどっちつかずの感情となっているのだ。
つまりは先日の臨時的なそれである。対価としていただけるのは大変ありがたい、だがあくまで臨時、ほんの近いうちに尽きてしまうもの。
少しは崩して使おうと思うけど、日常としての出費に回すのが当然として、長くは続かない。減っていくだけのそれは、なんともいえない喪失感でが生じる。その減少は止めることができない。
しかしその期間中、穏やかな余裕を持った心を持つことができる。ほんの数ヶ月程度、いうなれば自分だけの消費ぶんとして、少しだけ前を向ける。
逆に増えることもないものなので、徐々に息切れしていくだけの苦しさも同時に発生する。その板挟みになんとも曖昧な意識として持っていかれる。
もちろん、それ自体は当たり前のこと、人としてやらなければならないこと。だから嫌というわけではない。全く。増えずに減っていくだけなのは単純明快、自分の責任。
昔とはまた状況は違う。今の自分としてその気持ちの揺らぎを知ることは、ある意味での一歩前進である。
それらを処理している最中は心がホッとする、はたまたそうでないときは荒んでいく、それだけの情けない話。そうでないとき、それはあってはならないのだ。
枯渇。
既に目の前に迫ってきているもの。対抗できないもの。今の自分は狭間にいる。
後ろを振り向けばすぐに奈落、抗いようのない重力に押され続けるだけの空間。臨時のそれが発生した際にのみ起こる乱気流のサイクル。
飛ばされ巻き込まれないように重しをつける、いつか、そうなれるだろうか。