人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

六学

んもぅなんで見つからないのよ!!いまはそういった余裕がないのよ!しゅんましぇ~~~んお客様のなかにドラゴンレーダーをお持ちの方はいらっしゃいませんかあ~~~あっこれにより某ボールを探していることがバレてしまった!!嘘だ!!

 

どうも。只今絶賛稼働中よぼよぼ全速前進かめさんスピードのぼくです。どれくらいの速度かというと、一ターンに最大気力の1/128くらいのスリップダメージであります。すさんでいくぜ、心が。しみわたるぜ、ひび割れシミソバカスの波動が。日焼け止め塗りすぎてツラだけ白いぜ。でも逆に白くならないと実感が湧かなくてソワソワするぜ。今度スプレー型も試してみるぜ。

 

はい、わたしはオリンピックをちらちら見ています。ですが、諸事情により日本時間深夜は見られないので、ゴールデンなタイムのみです。はい、わたしも金メダルがほしいです。こじつけでもなんでもなく、TOPなるものをとったことのない我が人生、いかに些細なことであろうが輝ける一等賞がほしいのです。ちなみにお尻は出しません。身も蓋もないことをいわせてもらえば、人間この世に生を授かった以上一等賞であります。それはまあ…記憶のない頃なので置いといて。

 

自分はこう考えることにしました。モブにはモブの存在というものもある。

 

この世の関心や注目を浴びて称賛され支持される者。それ相応の努力と才能、実力社会とされるのは至極真っ当な価値観であり、競争において生まれる有象無象との価値観とも、また相容れない存在だろう。なるべくしてなった、と結果論としても見えるが、なるべくしてなろうとした、その結果辿り着けた。その領域に到達できるのはほんの一握り。

 

競争という面においては、なんにしろ比較対象が必要である。トーナメント出場者1人の大会に出場して不戦勝となったとしても、真の勝者とはいえない。いや、優勝とされたら優勝として誇っていいことである。悪い言い方をしてしまえば、一種の踏み台が必要なのだ。勿論、己の身一つで0から1を生み出せる概念に関しては該当しない。あくまで他との競争として通ることである。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏んでっっ!!!!!

 

 

さあさあさあさあ!このみすぼらしい肉体をがんがん踏んでくれ!!!あっすみません痛すぎるのはちょっ…少々加減を……あっあっあっごめんなさい私ごとき生物が生意気にも口答えしてしまいましただだだだだあっあっあっもっと罵ってくださいま…ああああごめんなさいごめんなさい私ごとき下等生物が一丁前に懇願なぞしてしまだだだだだだだあっあっあっ

 

 

 

 

一言に踏み台と言っても、台が低すぎれば意味がないのだ。登れるかどうか、登った先の景色を掴めるかどうか、競争、つまりは競って争う。競い合えない存在はもはや競争相手ともなり得ないのだ。結局、これは踏み台としての価値すらもないのだ。雑多の中の、存在感すらもないエキストラ。もはやいないほうがいいまでのエキストラ。これは誰の視界からも映らない、とても小さく低く、ぼろぼろのうえなんか変色していそうな台。その目に見えるこれの醜悪さに対して、正しき判断を。