やったああああああ見つかったぞおおお!!!未来!?希望!?就職先!?すみません、それは見つかってないです。み、見えない…前が…確かに見える景色はあるのに…とまあ今は置いといて。あの~オイトイチャダメデスヨソれ。
鍵がねぇ!!!ようやく見つかりましたのよ!!!おうちの!!!これできちんと施錠をしてお外に出られますわ!!!ってこの野郎滅多にお外出ないんですけどお!!!
一旦忘れよう!戦法を発令したのですマイコンピュータに。すると日が変わってすっかり探していることを忘れている状態から頭ひょっこり。さ、ささ、探してたんだよ君のことをぅ!とロマンティックな再会を果たしたわけです。鼻水無しじゃ語れないぜ。
洋服を洗濯機にぶちこむ→あれ?なんか衣類に重い感覚がありますね→まあいいか→カロカロカロカロカロカロ→ポケットに入ってた~ん→というようなセレナーデでありました。鼻水無しでも語れたぜ。
なんですかね、探し物は探すのをやめると見つかる、といったようなミステリーがありますが、とどのつまりどういった趣旨なのかと。
自分が三秒で考えたこととしては、脳の情報といったあれそれは睡眠時にインプットされるもの的な感覚で、つまりはそれらが意識外かどうかの問題。特定のブツを探すといった一点集中型の意識、どこでなくしたどこにいったどのみちをあるいたか、辿れば辿る程記憶が曖昧になり簡単な力で途端に混雑していく。その徐々に狭くなる視野という名の意識を、一度分断させるのだ。そうすることによってあらためてフラットな角度から物事を見渡せるようになる。灯台もと暗し含めあらたな視点が見つかり、その結果、諸々の問題解決の手立てとなるのかもしれない。
自分の場合は意識を外す=現実逃避となってしまうため、結局必要になったときに必要なものがなく、そのツケとして自分に手痛いものが帰ってくるだけである。
こたびはうんがよかったです。
常日頃から整理整頓するのよ、ぼく。