人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

広い風呂場希望で

で新聞に入っている物件やら賃貸やらのチラシ、自分はそれを見るのが結構好きで、目に入るとついつい眺めてしまいます。

 

駅から遠い田舎の大きい一軒家の値段を見てなるほど、と思ったり、へぇ~ここの土地の相場って高かった(安かった)んだとか、今回紹介する物件はこ↑ちらのアパート!なんと!2LDKの広さに加↑えなんと!駐車場一台無→料↑!→でもお高いんでしょう?→うひゃあああ!!!と(安いという意味で)転がり落ちたり。

 

億ションやら高級住宅街の相場や間取り、からの妄想、自分がもしそこに住むなら、この部屋にこの家具を置こうかなとか、この部屋をゲーム専用部屋にしたいとか、ここに超デカスクリーンを壁から吊るして映画を見る部屋にしようかなとか(いうて映画自体ほとんど見ない)。昔ほどではないけど、相対的に広くない部屋ほど物でごちゃごちゃにして、広い部屋ほど物を最小限に抑えたい、という謎の逆張り式こだわりも心に秘めつつ、卓上旅行ならぬ卓上MyHOME生活を妄想したり。力無き者は夢で生きるしかないのだ。夢は見るだけならタダなのだ。夢を見るのはタダだが、いざ現実世界に戻る際にそのフレ幅で精神がやられないように、強い心を持たなければならないのだ。

 

んで、毎度それ系のチラシを見る度に思う。

 

 

親は偉大。

 

年収よんけたまんえんのエリート民はおいといて、一軒家を購入する、ということがどれだけの偉業であるだろうか。健康面から仕事に収入面、情勢も含めこの先なにが起こるか分からない状況下で、数百万単位のその土地と建物分の数十年のローンを組み、段階を踏んで支払い続ける。そこに人間としてどれほどの決断と覚悟が要されたであろうか、今の自分では全く想像できない。自分一人の立場であれば、もしものことがあっても自分一人だけの問題で済む。だが、(この場においては配偶者という言葉の括りを使わせてもらう)家庭を持って配偶者がいる立場であれば、その分の責任も生まれる。それを二、三年や十数年のレベルではない、数十年の世界である。自分はこの齢にもなって、人生で一度もローンを組んだ経験がない(多分)。いつか、その覚悟を自分も担うことになるのだろうか。

 

というようなことを頭に思い浮かべながら、日々チラシを眺めているわけです。楽しい。