人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

ハンズアップバトル

先日、とある事情でバスを利用しました。多分バスに乗ったの5年ぶりくらい…っておい!本数減っとるやないかい!路線自体も減っとるやないかい!区間料金上がっとるやないかい!これは仕方ない!

 

なにせ久しぶりなものだからちょいテンションUP。目的地に近づいてきたので小銭を取り出そうとした時、とあることが頭によぎった。そう、”降車ボタンPUSHのせめぎ合い”である。何が”そう”やねんというツッコミは無視する。

 

その、これは自分だけの考えかもしれないが、降車ボタンを押そうとして手を上に伸ばした際に、他の方に先に押され、行き場の無くなった腕をスーッ…と下ろす瞬間がなんともいえない気恥ずかしさなのだ。それとは別に、丁度ボタンを押すタイミングが一致してしまったケースにおいては、”自分も他人様もボタンを押した”という結果が残るので、こちらにおいてはダメージはない。問題は”ボタンを押そうとして押す前に押された”ケースである。なかなかの精神的ダメージを喰らってしまう。

 

バス車内の後ろの席に座っているときは車内全体を見通せるので、周囲の方の動きを見て”あの人が押すんだな”と譲るようにしている。自らの痛みを知るものだけが人の痛みを知ることができる。しかし、後部座席に座れなかったとき、背後は当然見ることができないので自分の意思とタイミングで押すしかない。降車ボタンに対しては、アナウンスが流れてからすぐ押す方と、少し間を空けて押す方がいる。つまり、周囲を確認できない状況下で、そのいずれかのタイプと立ち向かわなくてはならない。読み勝てるか読み負けるかは運の勝負である。バスにおける降車ボタンは運ゲーの世界である。

 

小細工という小細工は当然通用しない部分…だが、一つ生み出した戦法は、ボタンを押す直前で押された場合に、”いかにも同時押しを装ってそのまま押してしまえ”戦法。誤差プラマイ0.5秒くらいの範囲であれば、”あ、あの人が押したんだな”と周囲の目には映るだろう。しかし、手を上に振り上げた瞬間、例えるならば知人同士で会って”よっ”と軽く手を上げたくらいのタイミングで押されてしまった場合は、無情ながらどうしようもできない。アッハイ…スイァセン…くらいの精神レベルで手を下ろし耐え凌ぐしかない。

 

ということで、自分は”降車ボタン”という存在に恐れをなしていて、(終点以外で)バスに降りようとする際に内心心臓バクバクさせている人間、というお話。バス運転手の皆様いつもお疲れ様です。