人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

すー

人というものは感情で動くもの。感情で動くということは身体の中に心があり、身体というものは心の入れ物にすぎない。あれ?心があっても身体が無ければ意味が無いからこの理論は駄目か。一行前言撤回。

欲望という気持ちがある限り人は現在過去の出来事に一喜一憂する。それが良いことばかりならいいが、大抵辛いことの方が多い。幸福という感情は”楽しい時間は一瞬で過ぎる”と表現される。しかし、辛い、苦しい、絶望は重く、心の奥底まで喰い込まれていく。”楽しい”と”苦しい”という感情が同時間だったとしても、精神的には後者の方が長く、細かく、深く心に残る。人は誰かしら生きていれば必ず苦しみを味わう時が訪れる。

人は辛いときがあるからこそ光を浴びたとき、より一層輝きを感じられる、という理論には興味がない。比較した上で今が良いように感じられる、という結果論ならいいが、それは成功者の理論である。辛い思いをしないで済むならそれに越したことはない、それが自分(弱者)の理論。それはそれで薄っぺらい人間と化してしまうが、今に始まったことではない。

生きている限り感情は良くも悪くも揺さぶられる。それが当たり前。しかし主観でどうしようもいかなくなったとき、どうすればよいのか。知人がいない、いたとしても身動きができない場合、発狂するか感情を消すかどちらかしかない。

もうこれしかない、できるかぎり感情を消すのだ。欲があるから感情の高低差で自ら自傷してしまう。ならばもう目の前で行われている出来事を無のまま受け入れ、立ち向かっていく。それしかない。

人の欲があるからこそ社会、経済、文明が発達してきた。自身もその恩恵を日々受けている。欲があるから人であるし、人であるから欲がある。他人様に迷惑を掛ける系の欲は嫌いだ。だが良い意味での人間の人間らしさは好きだ。

今だけは、自分としての人間らしさを消そう。欲を消そう。今の自分は心の無い機械。目先の事をただ一つ一つ対処していく。それだけ。目を開けて前を見ている様で見ていない精神で過ごしていく。人から欲が湧いてくるからこそ、湧いてくる欲をせき止めることができるはずだ。

もう自分が何を書いているのも書いている最中に書いた内容が頭から抜けていっている状態で今現在現状現時点何がなんだか分からないが、まあ…どうでもいいか。