人生たらたら

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なんでだろう

スターオーシャン4という作品に対して、色々と思うところはありました。

 

物語面では唐突&描写不足感、システム面は全体的に貧弱、戦闘面では雑魚敵スパアマ→サイトアウト依存気味など。ですが物語の本筋だけを見れば好きでしたし、ヒスも面白かったし、サイトアウト含め戦闘面もある一種の”気持ち良さ”がありました。なんだかんだ言って4はそこそこ好きな作品となりました。

 

 

なんでいきなりそんなことを言ったかというと、5が、その…5をプレイしていて自然と湧いてきた感情といいますか、相対的な感情といいますか、5をやっていても全然感情が動かないというか、なんかもう…その、面白さ?…んー…グラフィックとボイス以外SFCの時代の作品というか…

 

戦闘システムは試行錯誤したくなるものでは無いのに一部の戦闘の難易度高いし、バトルスキルは使い回し全開で99%既視感があるし、7人戦闘はお荷物AIが増えただけにしか感じられないし、ロールなんぞで戦略性を立てさせたいのならFF12くらい厳密にしてほしかったし、全体的にUIは論外だし…

 

別に戦闘の難易度が高いのは良いのだが、リトライがない上に他愛のない会話イベントシーンはスキップ不可なのもストレス、そして謎に”セーブポイントを縛る”のが意味不明。敵に捕まったリリアと父さんを助けに行くシーンで、砦の最奥でのイベント→戦闘→イベント(ここだけは謎にスキップできる)→長いイベント→拠点に戻る→宿屋内のセーブポイントは使用不可→外でボスと戦闘、という流れがあったのだが、ボスは謎に強くスピキュールを使用して懐古媚びだけはしっかり、ここでやられたらまた砦最奥前のセーブポイントまで戻され、再度スキップできないイベントが始まる。リトライの有無はともかく、フルボイスの会話が飛ばせないぶん、SFC時代の作品よりテンポ面で劣っている。

 

 

その、今作の物語について悶々としていることがあるのだが、それは”何故そんなにリリアにお熱なの?”ということ。エマーソンとアンヌは立場的に分かる、しかしフィデルとミキが何故そんなにもリリアに目をかけるのか、自分には理解ができなかった。作中では守る守る言っているが、自分の頭の中では???である。

 

フィデルたちとリリアの出会いは、墜落した戦艦にたまたま鉢合わせ…それから?ただ少女と出会って、よく分からないけど捕らえられようとしていて、流れで助けることになって、それから?フィデルとミキはこの子を守る!で結果戦争に加担して、戦火を一段と広がらせ、ミキがリリアを庇って命の危機となったり、フィデルの父さんは<ネタバレ>となったり、周りが色々と犠牲を払っているのになんか当の本人は助けられて嬉しい?みたいな感じになっていて?

 

別作品となるが、テイルズオブエターニアのファラ→メルディのときは、ファラの過去に起こした事件(真相は別にして)からお世話焼きの一面が強く描写されているから、と考えられるし(からのリッドのキャラもよかった)、グレイセスのアスベル→ソフィのときは、アスベルの生い立ち、立場、そして幼少期編の出来事があったから、とも考えられる。

 

フィデルとミキの”リリアを守る”、という動機付けが弱すぎる気がする。フィデルとミキの過去の出来事からの心情かもしれないが、それにしたってとにかく”リリア第一!”どんな犠牲を払おうが知ったこっちゃない!という感じでどんどん目の前の出来事を向かい入れるだけ、というのが違和感。これが守られ系ヒロインってやつでしょうか。