”下手の横好き”というものは辛いな、という話。
しょーーーもない愚痴なので見なくていいです。
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限界、というものはいつか来るものだとは分かっていた。
ここ最近、音ゲーで追加される譜面が全然クリアできなくなってきた。捻くれていく傾向なのはもうそういうもんだから仕方無いけど、もう何がなんだか分からなくなってきた。クリアできない曲はいつまで経っても何度挑戦しても無駄。”お前が下手糞なだけ”。ごもっとも。
こう、最初の方は作品の仕様に慣れるところから始まるので、徐々に上達していく感覚を味わえ、充実感がある。だが、よほどの腕前でもない限り、どうしても頭打ちの機会が必ず訪れる(これはゲームに限らない話だと思うが)。何度挑戦しても、考えても、一向に上達しない、努力云々ではない壁、人それぞれ壁の高さは違うが、無理なもんは無理。”努力すれば夢は叶えられる”という言葉は、つまり”努力すれば(夢を叶えられる才能を持った人が)夢を叶えられる”ということだ。
例えるならば、100M走のタイム測定をするとして、トレーニングをして、専門的な知識も蓄えれば、ド素人の遅い元のタイムから1~1秒半ほど縮めることも可能かもしれない。しかし、どうあがいたって9秒台を叩きだすことはできない。9秒台で走れるということは、それは9秒台で走れる人間だったからだ。
音ゲーの話に戻ると、昔、自分の同級生に嗜んでいる人がいて、そのプレイ中を横で見ていたことがあったのだが、目にも止まらぬ速さで落ちてくる大量のノーツを、これまた目にも止まらぬ指の速さでノーミスしていた。その当時から自分も音ゲーというものに触っていたが、”あぁ、上手い人というのはこのレベルのことをいうんだな”と現実を知ることができた。”この人のようにはどうしたってなれないな”、とも。
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長年生きてきて、未だに自分は何事にも才能を、手応えも感じた事はない。何かに自信を持ったこともない。好きなことを見つけてやってみては、すぐに頭打ち、自分の無能な癖に完璧主義者な性質が相まって、惨めで空しい気持ちに陥ってしまう。しかし好きなことなのでこう、すぐには諦められないというか、未練たらしいというか悔しいというか、少しは足掻いてはみるが、足掻くほど現実を知り、手が届かず、結局悔しさが残るだけ。
”まあ音ゲーマー(?)の俺様からすれば?なかなかの難易度だったかな(前髪ファサー)”とでも言える腕前を持っていたら(持っていてもそんなこと言えないけど)、こんなグチグチ言わないと思うが、今回はまあ自分なりの諦めのケジメということで。
何度経験しようが慣れないこの無力感、今まで幾度となく通ってきた道だが、自分の限界を知り、しかし(好きな作品だからこそ)消化することに難義だったその気持ちを、時間を掛けてようやく吹っ切ることができた。
しょーもない愚痴すみません、自分の中の気持ちの整理を付けるためだけに書きました。おわり。