人生たらたら

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各々事情がね

風呂場の全身鏡を見ていて、ふと思ったことが。

 

それは身体的コンプレックス。

 

 

コンプレックスをwikiで調べてみると、なんか”色々な感情が混ざってできたもの”だとかなんとか。よく分からないので今回は”劣等感”という感情で考える。まあ身体的は大体それだよ。

 

”劣等感”というものは自分以外の何かと比較することで生まれる。自分一人生存している世界でない以上、比較する、されることは当たり前のことだし、世の中は競争社会であるべき、優劣を付けられてしまうのも当然。隙あれば学歴、年収でマウントを取りにくる人達も、そこに至るまでの掛けた労力があったからこそ。自分は高卒、年収ゼロなので好きなだけマウントを取っていくがいい。

 

例えば”鼻が低い”というところにコンプレックスを感じているということは、それは”鼻が高い”ことに魅力を感じているからではないだろうか。世間一般はつまり普通、多数派。情報操作、お国柄もあるが他者との比較をするが故に生まれた感情である。意に介せず自ら比較するつもりはないのに、周りが勝手に何様比較をすることも多い。そうなれば一段と感情が強くなってしまう。

 

十代の頃など、学校で集団生活を行わなければならない、まだ精神的に不安定で多感な時期はコンプレックスで辛い日々を送っている人も無数にいるのだと思う。身勝手な言葉で人から傷つけられたり、いじめになったり、それが積み重なって取り返しの付かない事件が起きたり。自分のことが100好きで100自信がある人間などそうそういない。

 

 

そういえば自分の頃はどうだったかな…?と振り返ってみると、コンプレックスは108程あったが、まあいじめを受けた経験は無かった。クラスに一人二人いるような地味オブ地味人間だったし、これといった自己主張もしない目立たない、いてもいなくても変わらないレベル、同学年にポツンポツンと顔見知りがいた程度で、特別槍玉に挙げられることもなかった。

 

そういえば、何故か”学年関わらず同性からひたすら陰口を叩かれていた”経験がある。なんか遠くから指差されてコソコソ話されていたり(周りに自分以外いなかったのでターゲットは明確)、廊下などのすれ違いざまに悪口、暴言を小声で言われたり。それで自分は傷ついた…ことはなかった。何故ならその陰口は顔も名前も知らない(覚えられない)、話をしたこともない、面識もない方達がこぞって言っていたからである。お前ら誰だよ。

 

”お前がそう思うならそうなんだろう”というスタンスで生きてきたので、別に知ったこっちゃないのだが(わざとだろうけど陰口叩くならせめて本人に聞こえないようにしてくれ)、なんで同性の他人からそんなに嫌われていたのかは謎。可愛い子とか見てた方が100億倍マシっすよ。まあもう終わったことなので別にいいか。

 

 

話は戻って。

 

なんつーかさぁ、コンプレックスはどうすりゃいいわけぇ?、という話。自分のツルツルな脳で考えてみた結果、二つ思い付いた。

 

まず一つは、”他者に認めてもらうこと”。難しいのが、家族や身内など近すぎる方達からは効果が薄いこと(それ自体は良いことだよ)。やはり身内だと贔屓フィルターが通されるのが分かるので、この場合は”身内以外の人”から、のほうが効果は高いか。

 

認めてもらうという言葉は何様だ、と思われるかもしれないが、つまり”他者と比べて生まれた感情”なのだとすれば、”君はそれでいいのだ”と言ってくれる人がいたら、救われる気持ちになるだろう。知人、友人、親友。もし恋愛感情を持っている人からその言葉を投げかけられたら、もうコンプレックスなど投げっぱなしジャーマンだろう。そしてリングアウト、カウント20までにリング上に戻ることもなく、途端に今まで悩んでいたその気持ちが愛おしさに変貌するだろう。

 

↑だろうだろうと言ってはいるが自分には言われた経験が無いので全て只の憶測だろう。

 

もう一つは”老化”。身も蓋もないよ!!!年齢を重ねると無頓着が進むというか、人目が気にしなくなっていくというか、鈍感になって図太くなっていくというか。うん。結局、自分はコレだった、ということか。

 

 

最初に戻って鏡で自分を見た時に、そういえばコンプレックス強かったなぁ…今はあまり気にしなくなったなぁ…と自然とそう思うようになってました(どんなコンプかは勿論言いませんわ)。それが良いか悪いか分かりませんが、レックスが和らいだ分、なんだか自分のことが少し好きになれた気がします。まあ自分が好きでもなけりゃとっくにこの世からさよならしてるか。ナルシストでは全然無いですけど、我ながら歳をとった故の良いことだったのかな、と思いました。