人生たらたら

書きたいことを書くだけのブログ

やっちまったな!

先日、某牛丼チェーン店に出向きました。まあ吉○家の話なんですけど。自分は気に入ったものそれだけをひたすら執着し続ける人間なので、毎度毎度”ねぎ玉牛丼(並)”を買っていくわけです。

 

その出向いたときに、お店のメニューの看板に”ねぎラー油牛丼”&”ねぎ山椒牛丼”というものがドドーンと書いてありまして。ねぎがとてつもなく大好きな自分は”yes!”と、”ねぎ山椒牛丼(並)”の方を衝動買い。ラー油は最近餃子にだくだく付けて食べたばかりなので。

  

 

失敗した失敗した失敗した失敗…

 

 

まあ単に牛丼にねぎ入れて山椒の粉を振りかけて食べる商品なのだが、これがまた絶妙なミスマッチ、口の中でそれぞれの味が路地裏で野良喧嘩しているような感覚、喧嘩の時に武器を使うのは人として卑怯という考えは、裏を返せば喧嘩だからこそ武器が使える、ということでもあって難しい所、まあ自分は拳一つで勝負せんかい!派、噛めば噛むほど泥試合、無論食べ物を残すようなマネはしないので食べ切りましたが、味一つ一つの相性が悪かったという感じ。何がしたかったのかがよく分からなかった。

 

自分は、商品に付いている備え付きの調味料とかスープとか、付いてくる物は全て投入します。作り方とか書いてあるものも、そのまま分量通りに模倣します。それはやはりその商品の製作者が”この味を開発し、味わってもらいたい”というものを一心に受け止めたいからです。少しずつ量を足しながら自分にとっていい塩梅の味を見つける、などという野暮な真似はしません。そのメーカーさんの生み出したそのままの味をこの舌で知りたいから。まあこれらは初見時の考えです。まずはそのまま食べる、もしその後リピったら味付けは好きなようにすればよいよ。

 

ということで、牛丼備え付けの山椒粉を全部入れたんです。

 

途中”樺地…この量多すぎへん…?”と思ったものですが、この量の粉が店側から付けてあるんだから、これがこの商品の規格なのだろう、と全部入れたんです。駄目でした。山椒が嫌いなわけではありません、これを言っちゃおしめぇだが、山椒自体いらなかった気がする。

 

”いつもの”を注文するということは、その味に対する安心感というものも買っていると思うので、”いつものじゃないの”を買うとこういう結果も起こり得ますね。まあそれも日々の授業料、経験ですね。

 

 …

 

※個人の感想です。こんなブログに影響力は皆無ですが一応保険。100人中100人が100点の味なんてないのだ。