精神手帳を発行され三年近く経っただろうか。発達障害とはなんぞや、となんとなく振り返ってみる。なんとなく。
正直、自分は発達障害というものに対して何も知らない。自分のことなのに全く興味がないのである。
自分がそう診断されたのは成人になってから。親によく分からないまま精神科のある病院に連れていかれ、テストやらなんやら受け、そういう結果として今に至る。
成人をゆうに過ぎてから診断を出されても、二十年以上この人格で生きてきたんだ、という今更感が興味をあまり持てない理由なのかな、とも思う。その年月でとっくに自己形成は固まっている。
主に幼少期からその兆候が出て大人に向かうまでに家族等協力し徐々に症状を和らげていく、というのをよく聞くが、自分のように大人になってから気付く、となればまた違った受け止め方になるだろう。
まあせっかくなのでネットで発達障害で検索し、特徴、傾向などを適当に書き出し自分と照らし合わせ、改めて勉強しようと思う。
発達障害と一口に言っても色々と区分があるのだが、自分は自閉症スペクトラム(ASD)らしいので、そのジャンルで。
んー、同じ診断名でも人により表れる特徴が異なることもあるらしいのでビシッとした仕分けは難しそう。まあいいか。大人の発達障害の特徴、というページを見つけたのでそれを参考にしやす。
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・キレやすい。
一項目目がそれかい物騒やなあ。
人生において、周りに本気でキレたことは無いはず。怒鳴ったこともないなあ。
人に対して憤りを覚えても、本気でキレる前に愛想の方が尽きてしまう性格からか、じゃあいいや、で終わり。寝て起きれば留飲も下がる。
ああ、そういえば自分に対してはよくキレる。なぜこんなことができないんだ糞無能野郎が、と何かあるたび異常に自分にやり場のない怒りを感じる。
流石にリ〇カはしないけど、精神的にやばかったときは三角座りして縮こまり、自分に対して独り言でブツブツと罵詈雑言を唱え、自分で自分を殴っていたりしていた。
他人に対しては怒りをぶつけないけど、自分には鬼の如くイラついてしまう。
・人との会話が苦手。
これはつまり家族等の気心が知れている関係は除外する、ということで合ってる?普通に考えて他人との会話のことか。
~人と視線を合わせられない。
というのはある。施設の人とかには頑張って目線を合わせて会話するように意識している。他人相手だからこそ会話中は失礼に感じさせないように視線を合わせる。
逆に、身内相手にはほとんど視線を合わせない。これは無意識というか、つまり総じてベースに自分の顔を見られたくない、という気持ちがある。こっちから顔を見ないからそっちからも見ないでくれ、ということ。多分これは人から理解されないかもしれないが、とにかく自分の顔を見られたくない。だからこっちも見ない。
見ないといけないような状況下では、ひたすら頑張る。自分のこんな顔見せつけてしまってゴメンナサイと思いながら頑張る。疲れる。
~人に自分の気持ちを伝えるのが苦手。
というかそもそも自分の話はしたくない、自分語りも嫌い。このブログは誰かに直接話している訳ではないから許して。嫌いというか実は誰かに自分の話を聞いてほしいのかも…現実では聞かされる相手側ウザいだろうなあ~、と思い話す気も浮かばないのだが。
逆に昔から人の話を聞くことばかりやっていた気がする。相談、愚痴、恋バナ、相槌打って欲しいのかなあと察し話を聞く壁になったり。自分語りが好きではないぶん、聞くことが多いと思う。
聞き上手…という大層なものでは、勿論ない。
~自分の言いたいことを一方的に話す。
これは最近気付いていた。人が話している最中に無理やり話したいことで割り込んだりしていた。今では意識してそうしないように心掛けている。あとは早口になるたけならないようにもしている。
意識しすぎて全く喋らないことも多々ある。下手糞が。
~あれ、それ、などの曖昧表現が理解しづらい。
人との作業中などで、それあそこに置いといて、など言われたとき正直困ってしまう。それでよく面倒くせえな、とかそんくらい理解しろよ、とか言われ続けてきた。
普段からやっている所定の位置ならばなんとかなるのだが、初見の場所であれば混乱してしまう。
…今の持っている物から考えるとあそこの上だよな…?いや上に置くスペースが心許ないから違うか?…じゃああっちか?いや…
と考えているうちに面倒くせえな、と言葉が飛んでくるのである。具体的にと聞いたところで同じ言葉。わざわざそんなことで、って自分でもそう思いますよ。
つまりは、人とのコミュニケーション能力が弱い、ということ。初対面の人と何を話せばいいか分からないし、気を使ってもらって話を振ってもらう事ばかり、集団行動も苦手。一緒にいてつまらねえ人間なんだろうな、とは自負している。
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疲れたんでこの辺りで続きます。多分。