人生たらたら

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RPG 物語と戦闘の相関性

一般的に戦闘システムがある、RPGというジャンルのお話。

 

世の中のRPG作品には(大分大雑把に)

シナリオ重視の作品、システム重視の作品、と呼ばれているものがあると思う

(製作者のコンセプト通りの作品なのか、偶然の産物かは置いといて)。

 

シナリオ重視の作品の場合は、プレイヤーはその魅力のある物語の先が見たい故に

途中に挟まるシステム面に、少々首を傾げてしまう可能性がある。

例えば

世界に危険を及ぼす強大な敵がいるとする。

プレイヤーは大きな一つの目標として、その敵を倒しに行く事になるのだが

物語上で、脅威を与えるイベント等が繰り広げられた後、いざその敵と対峙した際

初見で苦戦もせずに勝てた、正直弱かった、となったら、どう思うだろうか。

世界を脅かしていた存在をあっさり倒してしまう、少々茶番と感じてしまうかもしれない。

逆に今度は

その敵が強く、やられてしまった場合、当然物語が進まない。

物語の先が見たいのに、(何度もやられ)物理的に進めない。

難易度を上げる事で、システム面での敵の強大さもアピールする事が出来るが、シナリオ面からすれば、プレイの意欲が削がれ、日の目を見られない可能性もある。

 

物語だけを魅せたいのならば、戦闘(のようなもの)が無い、薄い、厳しい難易度ではない、アドベンチャーなどと呼ばれているジャンルの方が適していると考えられるし

戦闘だけを魅せたいのならば、長々としたイベントシーン等は無く、拠点の町があって、迷宮のダンジョンに何度も探索に行く、というようなシステムに振り切った方が適していると思う。

 

RPGにおいて、この二つの相性はあまり良くは無い、と思う。

互いの都合が、互いの足を引っ張ってしまう。

物語、戦闘どちらも取るとなると、よほどの工夫が無ければ、どちらかにしわ寄せがくる。

それが上手く調和するようなゲームデザインならば良いのだが、大体は"粗"として

悪目立ちしてしまうように感じられる。

 

ふと個人的に、良い例として一つ思いついた作品があるのだが

それは、言わずと知れたファイナルファンタジー10という作品。

魅力的な世界観とシナリオで、ファイナルファンタジーシリーズの中でも、非常に評判の良い作品。

シナリオ面は言わずもがな、この場では置いといてシステム面。

 

この例えが適しているかは定かでは無いが

"本編の戦闘は一通りイベント戦"と個人的に思っている。

なんのこっちゃ、となるので(分かりにくい)説明。

 

本作は全体的に、優しめの戦闘バランスだと思う。

敵それぞれに個性付けされており、弱点アビリティや属性などが設定されている。

アクティブタイムバトルでも無くなったので、その都度適したキャラクターを選択していけばそう困る事は無い(縛りなどは知らん)。

ではボス戦はどうかというと、当然歯応えのあるボスは何体もいる。

が、その敵の状態、戦闘しているフィールドなどによって、弱点、専用コマンドなどが用意されていて

パラメータありきの勝負だけでは無く、仕様上の抜け道が用意されている(ヒントもある)。

歯応えを残しつつも、救済処置として利用し優位に戦闘を進める事も出来る。

以上を工夫して戦闘している、と感じるのか、戦闘をやらされている、と感じるのかは人それぞれだが、個人的にはいい塩梅の作品だと思う。

物語の先が気になるし、勿論、戦闘狂向けにその方面のやりこみ要素も用意されている。

 

 

と、まあたらたらと述べてきたが、何故このような記事を書いたのか?というと

ゼノブレイドをプレイしていて、初めて物語上の敵で詰まったのだが

それはヴァラク雪山のムムカ。

レベル上げを全然していなかったというのもあるが、気になったのがゲーム側の都合。

 

直前に戦った黒い顔つきには全然苦戦しなかったし、レベルもそう高くは無かった。

しかしヴァラク雪山で機神兵から降りた後の方が、何故か数段強い。

物語上で幾度となく脅威として襲われ続け(フィオルン?は生きていたみたいだが)、因縁もある敵なのに、実は機神兵から降りた方が強い、というのは如何なものだろうか(生身だと空も飛べないしビームも撃てないが)。

勿論、機神兵を乗りこなすには肉体改造等が必要ではないか、とは推測出来るが

シナリオとシステムの食い違いに気に掛かった場面ではあった。

只のいちゃもん程度と思われるかもしれないが。